先に述べておきますが「まだ生きたい」人間が死んだ人間の気持ちを理解する必要はありません。「作法がなにもわからず、恥をかかされるのがわかっているが、喪服を着て葬式に出なければいけない羽目になった」のであれば、なにもせず喪服でその場に出席するだけでも重責です。「死んだ人間の気持ちを理解する必要がある」のは、出家して僧や尼になった人や、葬儀場のスタッフなど、その道のプロが徹底すればいいことです。供花の配置順はその一族に伝わる古いしきたりを優先させること。
会場で最も目立つのは「葬儀は仕事で出席できませんが、告別式には出ます」という人が「取り急ぎ」で送った花です。「順番にうるさい親戚」がいれば、その場だけはその人に従うこと。「ああ、あの人は最早、これしか人生に楽しみがないんだろうなあ」と思えば態度も変わります。そこに外野が口を挟むのは慎んだ方が賢明です。法事の席では「いかに上手くしきたりに従ったか」ではなく「流れに逆らってまだ死にたくないことを表現した方」が「相応しい」場合もあります。
生前不実を働いたと方々から責められ、先達の勢力に巻き込まれそう、多勢に無勢、巻き込まれるのが嫌なのであれば、供花の順番が回ってきたときにわざと「逆位置」に置いてしまうのが良いです。従ったところで多勢に巻き込まれた先に待つものは「自らの死」です。強制したり急かす方が後日責められます。自分自身の身の安全にかかわることなのに、勢いに飲まれたまま流されてしまうなんて、この上なくバカバカしいわけです。「まだ生きたい」人は、供花は逆位置に。会場のスタッフと短いミーティングをするとより良いです。みんな同じ方向に向けているのなら逆にします。焼香の数もみんな二回しているなら、フリをするか一回で済ませます。親族や親戚一同が会場の向かって左に固まって座っているのなら、わざと右位置の出入り口に近い方向に。葬儀、告別式が終わった後の食事会は、わざと開始五分で帰ってしまうなど、徹底しましょう。親族自らが「誰のおかげで飲める酒なんだろうねえ」と捨て台詞を吐き、食事会をたった五分で去ってしまったら、後に残された意地悪な親戚一同は故人を偲ぶ為の話もしにくくなることでしょうが、それが狙いです。